こんばんは。
【今日の名言】吉本 隆明(詩人、評論家)

いいことを照れもせずにいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ。
いい生き方とは、自分が持って生まれた運命や宿命に素直に生きていくことではないか。では、運命や宿命とは何かといえば、その人と母親との関係で形成されてきたものだと思う。
社交性に富み、効率的に仕事する人を評価する風潮があるが、私は評価しない。中途半端で何事もなさない人間よりも、引きこもってでもいいから何かを完成させる人間になりなさい。
激動のときに自分がこう考えていると、できる限り率直に公開しよう。それは自分の身一つで、吹きっさらしのなかに立つような孤独な感じだが、誤謬も何も恐れずに公言しよう。
自分自身で見聞きしたり、確認したことがない社会的な評価や、酵母のようにふくらんだ風評は一切信じるな。
学校なんかに期待する親は、大きな間違いを犯している。学校などというものは、適当にさぼりながら何とか卒業するくらいでもいい。重く考える必要はない。
子どもの成績の良し悪しにかかわらず、親は子どもをしっかり観察し、子どもが自分に合った学習方法を見つけるのを手伝ってやることが大事だ。なぜなら、学校を卒業し、実社会に出たとき、真の教育が始まるのだから。
僕は男女問題に限らず、一般の人間関係においても、いい関係かどうかを判断する基準というものを持っている。それはお互いが、言いにくいことをきちんと言えるかどうかだ。
東京大学の先生だから教養があるかというと、それは全然違う。東大の先生は知識があるに決まっているわけで、それは「専門的に」あるということ。教養があることとは違う。教養については、学校や学歴がどうだということとは全然関係ない。
先生だったら先生が、親なら親が、「自分が子どものときにどうだったか」を忘れてるんじゃないか。子どもに「いけないよ」と言う人が、「自分がそうだったとき、どうだったか」ちょっとでも考えてみればいい。
先生だけじゃなく、社会的にうんと偉い人というのは、いじめについて、そんなによくわかっているわけじゃない。
「あ、学校で何かあったな」ぐらい、親だったらわかります。そういう子に対して親のほうは、いつもと同じように扱ってやれば、それでいい。「お前、今日は何かあったんじゃないか」とか、そんなことは聞かなくていい。そんなことを言うと、今度は話がもつれてくるから、聞いたりなんかしないでいい。
育ちの悪さというのは、家庭の経済力に関係したものではなく、母親あるいは母親代理の人による乳児のときからの扱い方で決まるものだ。
自分の専門としていることに自分は影響されていないと思っているかもしれないけど、それは大嘘だ。何かをやって、それが自分のものになっていたら、その人は必ずそういう人間になっている。だからむしろ、「ただの人間」というのに自分を直さないと、いつの間にか変てこりんなことになっちゃう。
生涯の中で直面する事件、事変をどうとらえるか。精一杯、自分で考えることが大人という成熟への抜け道になる。誰かが示した安易で、簡単な答えに飛びつかないことが大切だ。
※3月16日は吉本隆明の命日(2012年)でした。