(以下『「アメリカ」の終わり』番外編より抜粋)
.
「”2016年シカゴオリンピック招致委員会”でシカゴ市のオリンピック招致活動に関わる」
(写真は、当時のシカゴ市リチャード M. デイリー市長と国際オリンピック委員会(IOC)の”都市選定委員会”を迎えての歓迎セレモニーで)
.
「シカゴ・オリンピック招致委員会での体験」
.
2011年、シカゴ市は2016年に開催されることになっていたオリンピックの開催都市に名乗りを上げた。
この時はシカゴを地盤とするオバマ大統領の時期であり、当時長くシカゴ市長を務めていたリチャード・デイリー市長が音頭を取りシカゴ・オリンピック招致委員会が結成された。
私は2016年シカゴ・オリンピック招致委員会で日本人として一人だけ、オリンピック招致活動に参画することになった。この経験だけはお金ではとても買えない素晴らしい経験だった。2011年、国際オリンピック委員会から2016年オリンピックの最終候補の4都市が発表になっていた。東京、マドリッド、リオデジャネイロ、そしてシカゴであった。この時はリオが最終決戦で選ばれたことはご存知だろう。
.
私の主な仕事は日本のメディア対応で、当時日本から取材で訪れるNHK、時事通信、共同通信、読売新聞、日経新聞など日本のメディアのシカゴでの取材のアシストやアレンジであった。
そして、このシカゴオリンピック招致委員会のアンバサダー(大使)という重要な役割は、なんと1976年モントリールオリンピックで10点満点を連発して3つの金メダルを獲得した当時14歳のルーマニア代表、ナディア・コマネチと決まった。彼女は1986年、共産国のルーマニアからアメリカに亡命してアメリカ市民権を獲得していた。
日本の大手メディアが一番喜んだのは、私がコマネチとの短いインタビューをアレンジしてあげた時だった。いろいろ記者たちが質問した後に、記者の一人が「あなたはタケシという名前を知っているか?」と聞いた。彼女は茶目っ気たっぷりに「もちろん知っている」と答え、例の有名な格好まで披露してくれた。「タケシは私のおかげで大金を稼いだのだから私に少し寄付してもいいんじゃないかしら」と答えたのには一同大笑いであった。ナディア・コマネチはわれわれがオリンピックで見た14歳の繊細なジムナストから素晴らしく成熟した大人の女性に変貌していた。
.
このシカゴ・オリンピック招致委員会には全米からオリンピックに絡む大手の弁護士事務所やコンサルティング会社から粒よりの人材が300人ほど派遣されて世界中で招致活動を行っていた。米国オリンピック委員会(U.S. Olympic Committee)の幹部たちとそれら全米から集まった人々との交流は私にとって得難い貴重な経験だった。USOCとIOCとの力関係やつば競り合いも間近で見ることができた。
.
ちなみに私の祖父、利一は1940年の「幻の東京オリンピック」の招致に関わっていた。当時早稲田大学で体育会の会長をし卒業後、南カルフォルニア大学に留学。その後、ボクシングを早い時期アメリカから持ってきた一人であり英語もできたことで招致活動に関わったようだ。
一世紀経ってから、孫の自分が何かの縁でシカゴ・オリンピックの招致活動に関わっている。この招致活動に関わった時は、まったく祖父の活動を知らなかったわけだが、現在これには何か偶然を超えた力があるのかもしれないと感じている。
.
(『「アメリカ」の終わり』の番外編が以下のオフィス・ファウンテンのウェブサイトでご覧いただけます。)
山中 泉 プロフィール & 日米交流NPO活動の軌跡 – オフィス・ファウンテン (officefountain.com)
