今回の選挙に関する稲村公望さんの鋭い考察です。
ご熟読ください。
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二〇二六年二月八日の総選挙は、単なる政権選択選挙ではなかった。多くの有権者にとって、それは「戦後レジーム」の終焉を連想させる、象徴的な転換点であった。
稲村公望
まず注目すべきは、小選挙区制度の構造的欠陥が、かつてないほど鮮明に露呈した点である。得票率と議席配分の著しい乖離は、制度が本来的に孕む「勝者総取り」の力学を、極端なかたちで可視化した。与党は得票率以上の圧倒的議席を確保し、議会勢力図は一気に塗り替えられた。しかも投票日は悪天候であった。投票率に一定の抑制効果があったとすれば、天候が順調であった場合、与党の勝利はさらに拡大していた可能性も否定できない。民意の総量と議席の分布が必ずしも比例しないという、小選挙区制の宿命が、ここに改めて浮き彫りとなったのである。
歴史の皮肉は、制度設計者に降りかかった。小選挙区制度導入の中心人物であった 小沢一郎 が落選したことは、象徴的事件と呼ぶに値する。彼が主導した政治改革は、五五年体制の解体と二大政党制への転換を志向し、政権交代可能な政治を掲げた。しかしその制度が、最終的に彼自身を議場から退場させたのである。
かつては 『日本改造計画』 がベストセラーとなり、「普通の国」論や国連中心主義、二大政党政治が論壇を席巻した時代があった。冷戦終結後の国際秩序の中で、日本が「普通の国家」として振る舞うべきだという主張は、時代の気分を的確に捉えていた。しかし三十年余を経た今日、世界秩序そのものが大きく揺らぐ中で、当時の構想は歴史的役割を終えたかのように見える。
野党第一党である 立憲民主党 は議席を大幅に減らし、小選挙区当選はわずか七名にとどまった。比例代表では 公明党 の存在感が際立ち、選挙制度の力学が改めて示された。二大政党制の成熟という理想は、現実政治のなかで必ずしも実現していない。むしろ多党分立的状況のなかで、小選挙区制が特定政党に過度な議席を集中させるという、歪な構図が定着しつつある。
今回の選挙で最も鮮烈だったのは、高市早苗 という女性宰相の圧倒的な人気である。保守層のみならず、従来は無党派とされた層にも一定の支持が広がったと分析される。だが皮肉にも、その高支持率は自民党内の反高市勢力をも多数当選させている。選挙は党外の対立を整理する一方で、党内の力学を複雑化させた。今後の焦点は、圧勝の余勢を背景にした主導権確立か、それとも路線をめぐる党内抗争の激化かに移るだろう。
三月十九日には、ドナルド・トランプ 大統領との日米首脳会談が予定されている。米国政治の再編と世界秩序の動揺が同時進行するなかで、日本の指導者がどのような戦略的立場を示すかは極めて重要である。冷戦後の「国連中心主義」や抽象的な国際協調論ではなく、パワーバランスと経済安全保障を軸とする現実主義的外交が問われる局面であろう。
二月八日の総選挙は、戦後体制の制度的遺産と、その限界を同時に照らし出した。五五年体制の崩壊後に模索された政治改革は、いまや新たな段階に入った。小選挙区制は政権の安定をもたらす一方で、民意の多様性を削ぎ落とす。強い指導者待望論は政治的推進力を生むが、同時に党内外の亀裂を内包する。
女性宰相の登場は、単なるジェンダー史的出来事ではない。世界の統治構造が流動化するなか、日本がいかなる国家像を描くのか――「普通の国」論の延長線上に立つのか、それとも独自の国家戦略を再構築するのか。その選択を迫る号砲こそが、二〇二六年総選挙の本質であったと言えるだろう。
この選挙は終わりではない。むしろ、新たな政治的時代の始まりなのである。