稲村公望さんの見事な投稿に頷きつつシェアいたします。
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オリジナル投稿 ·
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歴史を武器化する国々と、戦後日本の知的空洞―対中・対韓歴史圧力にどう向き合うべきか
稲村公望
中国および韓国から日本に対して「歴史の修正」を求める要求が突きつけられるたび、日本の言論空間は、まるで条件反射のように雷同を繰り返してきた。政府首脳の発言、有力国会議員のコメント、主要新聞・テレビの論調、さらには学界の反応までが、事実関係の精査や史料批判を経ることなく、「謝罪」「反省」を前提とする枠組みに収斂していく光景は、もはや見慣れたものとなっている。
南京事件、いわゆる田中メモランダム、従軍慰安婦問題、徴用工の「強制連行」論――これらはすべて、近現代日本史をめぐる代表的争点である。しかし、いずれの問題についても、一次史料の信頼性、当時の国際法秩序、同時代の他国事例との比較といった、歴史学に不可欠な検証作業が十分になされないまま、政治的・道徳的断罪が先行してきた。
ここで見逃してはならないのは、こうした歴史叙述の形成過程に、日本国内の左翼的歴史観を共有する研究者や言論人が深く関与してきたという事実である。戦後日本の歴史学界は、敗戦を契機に大きな再編を経験し、従来の近現代史家が影響力を失う一方で、特定のイデオロギーを基調とする歴史観が「進歩的」「良識的」立場として定着した。この知的潮流は、大学、官庁外郭研究機関、マスメディアを横断する人的ネットワークを形成し、相互に補完し合いながら再生産されてきた。
南京事件をめぐる中国側の動きは、その典型である。南京には巨大な記念館が設けられ、映画や小説、教育教材が国家主導で量産されている。だが、それらの多くは、証言の信憑性や数字の根拠について重大な疑義を残したまま、「確定した歴史」として内外に発信されている。そして皮肉なことに、こうした叙述を補強する役割を、日本人研究者や知識人が担ってきた側面があることは、率直に認めねばならない。
しかし、日本側には反証的研究が存在しないわけではない。故・伊藤隆東京大学教授をはじめとする実証史学の積み重ねは、膨大な史料整理と冷静な分析によって、数多くの通説に疑問符を突きつけてきた。その成果は、まさに汗牛充棟と言うべき量に達している。それにもかかわらず、これらの研究が中学・高校の歴史教育に十分反映されているとは言い難い。
歴史が必修科目である以上、教育現場で教授されるべきは、特定の政治的立場に奉仕する物語ではなく、史料批判を基礎とした中立的な学問である。偏向した歴史観を是正するために、実証的研究に立脚した学者を動員し、「正史」を学ばせる体制を整えることは、思想統制でも、いわゆる赤狩りでもない。むしろ、学問の名を借りた政治運動が教育に入り込んできた戦後構造を是正する、健全な制度改革にほかならない。
一方、中国国内に目を向ければ、事態はさらに深刻である。長年にわたる反日教育の結果、いわゆる「第四世代革命」とも呼ばれる若年層の一部から、日本をミサイルで殲滅すべきだ、日本人は殺せ、女性は暴行せよといった、下劣かつ過激な言説が公然と流布している。これはもはや歴史認識の問題ではなく、社会の倫理的荒廃を示す兆候である。
民主主義的統制を欠いた国家における「愛国運動」や民族主義は、歴史的に見ても、容易にファシズムへと転化する。1972年の日中共同声明、さらには日中平和友好条約が掲げた相互尊重と不干渉の精神に明確に背理しているのは、日本ではなく、中国共産党の側である。日本に対して恫喝的言辞を繰り返し、歴史を外交カードとして利用している現実から、目を背けるべきではない。
東アジア海域における中国の行動も、同じ文脈で理解されるべきであろう。領海・領空侵犯、南シナ海での一方的な現状変更は、国際秩序そのものへの挑戦である。日本はサンフランシスコ講和条約において、南沙諸島を含む旧領有権を放棄した。しかし、それは戦後秩序の形成過程について発言する資格まで放棄したことを意味しない。旧領有国としての歴史的経緯を証言する権利は、依然として日本に残されている。
また、ベルサイユ条約に基づき、日本が南洋群島の統治を国際連盟から信託された事実は、西欧諸国では周知の歴史である。日本の戦前史を「侵略一色」で塗り潰す単純化は、国際的にも必ずしも共有されていない。
それにもかかわらず、日本の総理大臣の片言隻句を捉え、際限のない謝罪と反省を要求してくる国家に対し、日本が取るべき態度は明白である。それは、内政干渉であると静かに、しかし断固として応じることである。
この点において、現在の高市内閣の対中姿勢は、従来の過度に自縄自縛的であった日本外交と一線を画している。歴史問題を外交の主戦場とすることを拒み、主権国家としての立場を明確にする姿勢は、結果として東アジアにおける過度な緊張の激化を抑制する効果を持ちうる。筆者は、高市内閣の現行路線を、現実主義に立脚した妥当な対応として評価している。
歴史は、他国を恫喝するための道具でもなければ、永続的謝罪を強いるための呪縛でもない。史実に立脚し、冷静に検証されるべき学問の対象である。その原点に立ち返ることこそが、日本の尊厳を守り、同時に東アジアの真の安定に資する道なのである。
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