私が主宰するファウンテン倶楽部シニア・フェロー中村哲也氏の
ターニング・ポイントでのタッカー・カールソンのスピーチ解説です。
大変見事にまとまっていますのでご紹介します。
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(中村哲也シニア・フェロー)
この抜粋は、タッカー・カールソンが保守系イベント(チャーリー・カーク/Turning Point USA文脈)で行ったスピーチおよび質疑応答の一部で、中心テーマは「右派の内部でも進む“追放(deplatform)”“糾弾(denounce)”文化への反発」と、「キリスト教的倫理に根差した“個人としての人間”尊重=言論の自由・反集団責任」の主張です。
冒頭、彼は会場の空気を見て「ここは本来、議論を許容する場だったはずなのに、左派がやってきた“文化大革命的な糾弾ゲーム”が右派側に入り込んでいる」と皮肉を交えます。相手の主張に反論する代わりに「人種差別主義者だ」「ナチだ」とレッテルを貼って黙らせるやり方は、言葉遣いが違うだけで本質は同じだとし、自分はそのルールで戦わない、と宣言します。
続けて彼は、チャーリー・カークが自分を登壇させることをめぐって資金提供者側から強い圧力を受けた経緯に触れ、「真実だと思うことを落ち着いて説明し、反対派とも議論できるべきだ」というカークの信念が最後まで揺るがなかった、と語ります。自分が「イランとの陸上戦争や体制転換戦争に反対だ」と言っただけで、説明や反証ではなく「反ユダヤ主義者」と決めつけられたことを例に、動機攻撃による言論封殺の危険性を強調します。
そして自分が反ユダヤ主義でない理由を「人気取りのため」ではなく、キリスト教倫理として“生まれによって人を憎むこと”が不道徳だからだ、と位置づけます。ここで彼の論理は、特定集団だけを守る“例外的な配慮”ではなく、普遍原理としての反差別(血統に基づく憎悪の否定)へ広がり、「反ユダヤ主義が悪いなら、同じく“白人男性だから”という理由で罰するのも悪い」と述べ、企業・大学・政治の現場で行われてきたとする反白人の風潮を強く批判します。重要なのは“どの集団が被害者か”ではなく、「集団責任(blood guilt)を否定し、個人として扱う」ことだと繰り返し、これがアメリカの特別性であり守るべき核だ、とします。
途中、スポンサー広告(睡眠マットレス、コーヒー等)を挟みつつ、彼は「保守陣営内の内戦」は実は誇張されている、あるいは意図的に作られている可能性が高いと論じます。彼の見立てでは、第一に「ポスト・トランプの権力争い」(誰が次の主導権を握るか)があり、その代理戦争として特定人物(彼自身も含む)が攻撃材料にされている。
第二に、「America First」をめぐる言葉の奪い合いがある。彼は“America First”を単純化して定義し、政府は税金を払う市民の利益を第一に置くべきだ、これ以外に政府を正当化する理屈はない、と断言します。これはイデオロギーではなく常識で、多数のトランプ支持者だけでなく、非支持者にも丁寧に説明すれば広く共有され得る、と主張します。政策論(関税が正しいか等)よりも、リーダーが本当に国民を愛し、国民のために説明責任を果たしているかを基準に監視しろ、と呼びかけ、質問を封じる側こそ動機が怪しいのではないか、と逆に問い返します。
後半は宗教的・倫理的メッセージが濃くなり、彼は「キリスト教徒として、世界の憎悪や分断の論理に巻き込まれるな」と警告します。攻撃者が挑発してくるのは、こちらに憎しみを植え付け同じ存在に変えるためで、悪は憎しみを糧にする、という枠組みを提示します。その対策として、自分も迫害者より道徳的に優れているわけではない、という自己点検(主の祈りの順序=まず自分の罪の赦しを乞う)を強調し、「正義」ではなく「自己正義」に堕ちる危険を説きます。同時に、宗教を政治目的に利用する説教者への警戒も述べ、「神は特定国家の味方ではない。国家が神の側に立つかどうかだ」と整理します。
そして新約聖書の禁止として「無辜の人を殺すな」を挙げ、戦争であっても子どもなど罪なき者の殺害は不道徳で、正当化や言い訳をする牧師がいる現状を強く批判します。場所がミネアポリスでもガザでも同じ原理だ、と述べ、これは党派を超えた“唯一最重要の問い”だと位置づけます。
質疑応答では、12歳の少女が「政治家になりたい。何をすべきか」と質問し、彼は冗談を交えつつ「まず祈り(本当に神が望む道か)。そして何より“常に真実を言え”」と助言します。信仰を強める方法を問われると、毎朝犬とコーヒーを飲みながら英語訳聖書(NLT)を読む習慣、妻と内容を話すことを語ります。
さらにAIPAC(親イスラエル・ロビー)や外国ロビーの献金が“America First”か、という質問に対しては「明らかに違う」と答え、そうした問いを出しただけで“反ユダヤ主義”と攻撃される構図自体が問題だと述べます。また、子どもの性別違和に関する医療・手術をめぐる法案(マージョリー・テイラー・グリーンの法案に言及)について、共和党が支配する議会でも通らないなら「誰の側を向いているのか」と怒りを示し、反対票を投じた者は政治的に罰されるべきだ、と強い調子で締めます。
全体として、彼は“排除と糾弾で敵を黙らせる政治”を拒否し、個人を個人として扱う普遍倫理、政府は自国民を第一に奉仕せよという政治原理、そしてキリスト教的に無辜の殺害や集団責任を否定する道徳軸を一本の線で結び、右派内部の分断や外部からの挑発に飲み込まれるな、と聴衆に求めています。